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東京地方裁判所 昭和47年(刑わ)2486号 判決 1973年1月17日

主文

被告人を禁錮一〇月に処する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  自動車運転の業務に従事していた者であるが、昭和四七年五月四日午前三時五〇分ころ、普通貨物自動車(横浜一か三七三九号)を運転して、東京都世田谷区池尻二丁目三三番一〇号先道路を、渋谷方面から三軒茶屋方面に向かつて約五〇キロメートル毎時の速度で進行しながら、同所先交差点にさしかかつたが、およそ自動車運転者としては前方および左右を注視し、進路上の交通の安全を確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同乗者との雑談に注意を奪われて、進路前方の前記交差点付近を注視することなく、慢然、同速度のまま進行した過失により、おりから同交差点手前で赤色の信号表示に従つて停止中の吉田博(当時三八年)運転の普通乗用自動車を、その手前約一八メートルに接近してはじめて発見し、直ちに急制動の措置をとつたが間にあわず、同車後部に自車前部を追突させ、よつて、同人に対し全治約二か月間を要した頸椎捻挫の、同車の同乗者吉田郁枝(当時四〇年)に全治約二か月間を要した頸椎捻挫の、同湯山暁児(当時三九年)に全治約二週間を要した外傷性頸部症候群の、各傷害を負わせ

第二  公安委員会の運転免許を受けないで、前記第一記載の日時・場所において、同記載の自動車を運転し

第三  酒気を帯び、アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、前記第一記載の日時・場所において同記載の自動車を運転し

たものである。

(証拠)(法令の適用)略

(判示第二の所為を無免許運転と認定した理由)

被告人は、昭和四七年三月二一日、当時本邦の施政権行使の及ばない琉球諸島の行政庁である琉球政府公安委員会より普通一種の自動車運転免許を取得し、そのころ就職のため神奈川県へ転居して、本件犯行当時は、同県所在の東京通運株式会社の運転助手として稼動していた者である。

ところで本邦(以下「本土」という。)においては、対日平和条約の発効に基き南西諸島が米国の施政権下に置かれるようなつた昭和二〇年四月以降、昭和四六年五月一五日沖繩返還協定の締結によつて米国の施政権行使が終了することとなつた期間は、琉球諸島に対する主権が及ばず、従つて本土における道路交通に関する法律を同地域に適用し得なかつたところから同法の適用上同諸島を国外とみなす措置をとりながらも同諸島の住民が日本国民であつて、同地域には行政庁である琉球政府が設立され、その立法機関において立法され、施行されている道路交通法令が本土のそれとほとんど異らず、道路交通制度(自動車運転免許制等を含む)が本土に準じて運用されていた事情から琉球政府公安委員会の交付した自動車運転免許証を所持している者が本土において同免許証に相当する運転免許を取得しようとする場合は、道路交通法(以下「法」という。)九九条二項に基き特に政令に規定を設けて一種免許については、法九七条一項二号の自動車運転について必要な技能及び三号の自動車運転について必要な知識について行う各試験を免除して同条一項一号の自動車運転について必要な適性を判断する検査のみを行い、又二種免許についても右行政庁の免許を受けている者であるときは、右に同じく一項二号及び三号の試験を免除して同条一項一号の右適性検査のみによつて右各免許を交付していたものである。(総理府令昭和三五年政令二七〇号・道路交通法施行令三七条二号・九号)(右一種免許については、沖繩の行政庁の免許を受けた後、同免許によつて運転することができる自動車等の沖繩における運転の経験が通算して三月以上であること。)即ち沖繩において自動車運転免許を取得した者は、本土においては外国における行政庁の交付た運転免許取得者であるから同運転免許の効力は、当然に本土内において効力を有するものではなく、前記の如き法に基く一定の検査を施行したうえで新たに本土の運転免許証を交付していたもので、従つて右手続を経て本土における運転免許証の交付を受けていない者は無免許となることは右法令の解釈から当然で、被告人は、本件犯行当時沖繩における前記免許証を所持するにとどまつて右手続を経て本土の適式な免許証を取得していなかつたのであるから被告人の本件行為は、行為時である判示日時においては無免許運転行為といわなければならない。

しかるところ、昭和四七年五月一五日、沖繩は日本本土に復帰し、日本国の一地方自治体である沖繩県として発足し、同時に、昭和四六年法律第一二九号沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律第五三条(沖繩法令による免許等の効力の承継等)及びそれに基く昭和四七年政令第九五号沖繩の復帰に伴う警察庁関係法令の適用の特別措置に関する政令第四一条(運転免許等に関する経過措置)の制定により、被告人が沖繩の日本復帰前の昭和四七年三月二一日琉球政府公安委員会から受けた前記運転免許は昭和四七年五月一五日からは本士の道路交通法の規定により取得した運転免許とみなされることになつた。(つまり昭和四七年五月一五日以後、被告人の琉球政府公安委員会発行の運転免許証は、本土内においてもなんらの手続を要せずして有効となつたのである。)、それ故右同日以降は被告人が右免許証によつて本土内を運転しても無免許運転行為とならないこととなつたのである。

よつてこの場合において、前記沖繩の復帰に伴う特別措置に関する法律(以下「特別措置法」という。)ならびに沖繩の復帰に伴う警察庁関係法令の適用の特別措置に関する政令(以下「政令」という。)が、犯罪後の法令による刑の廃止にあたるものとして刑事訴訟法第三三七条第二号により被告人を免訴すべきものであるか否かについて考えてみるに、まず沖繩返還協定においては、協定の効力発生の日に係属中の事件又は捜査中の事件を含め、その手続を承継することが規定され、又これに基く国内法の措置として右特別措置法において同法施行の際に沖繩に適用されていた刑罰に関する規定の効力の存続を定め、復帰前の行為が沖繩の法律の刑罰規定により処罰されるべきことを明らかにしている。これは奄美群島返還の際刑事々件についてはこれを引継がないことを前提とした条約(昭和二八年条約三三号)とその立場を異にするもので、沖繩の復帰に際しては、沖繩の住民が米国の施政権下にありながら日本国の国籍を有するという特殊な法的地位にあつたこと、本土との一体化が以前から進んでいて司法制度・刑事法制等がほとんど共通であつたことを根拠とするものである。特別措置法は、右刑事々件のほか復帰時における沖繩の各種制度を原則として承継する立場で本土の諸制度の沖繩県への円滑な実施を図ろうとするもので(同法一条)、自動車運転免許については、特別措置法及び同法の委任する右政令の規定によると「沖繩の道路交通法の規定によりなされた運転免許は本土の道路交通法の規定によりなされた運転免許とみなす」(特別措置法五三条一項、昭和四七年政令九九号・警察庁政令(施行昭和四七年五月一五日)旨規定している。

これは、従前の沖繩の道路交通法の規定により交付された運転免許は、復帰後においては、新に施行される本土の道路交通法の規定による運転免許に該当しないため沖繩における運転免許取得者全員が無免許となり、かくては復帰後円滑に本土の道路交通法を沖繩に適用することが困難となるので又前述の如く従来沖繩の運転免許取得者が本土において運転免許を取得しようとする場合は、技能、学科試験を免除して適性検査のみによつていた事情等から復帰の日である昭和四七年五月一五日より施行される右特別措置法及び政令をもつて復帰後はその運転免許の種類に応じ本土の道路交通法上の相当規定によりされた運転免許とみなすとしたものである。同規定を右立法の経過及びその趣旨に照らして検討すれば、同規定は、運転免許のいわゆるみなし規定にとどまるもので沖繩の運転免許取得者が復帰前に行つた自動車運転行為について特別の定めをしたものではないことが明らかで、そうして同規定を右既往の行為に遡及して適用すべき理由も見出し得ないから結局、被告人が復帰前の沖繩の運転免許を所持してなした本件自動車運転行為については、たとえ外国の行政庁の運転免許を受けている場合であつても本邦の公安委員会の交付する運転免許を有しないで本邦内において自動車を運転することは無免許として処罰されるという道路交通法上の規範は、昭和四七年五月一五日の前後を通じ依然として存続するものであると考えるべきであるから被告人の本件所為は無免許運転と断ぜざるを得ない。又かく解するのでなければ前段の復帰時に係属する刑事々件をすべて承継する立場とも均衡を失し、不合理となる。

以上の次第で沖繩の復帰に伴う沖繩の法令による運転免許の効力の右特別措置法に基く承継をもつて、本件行為につき、刑事訴訟法第三三七条第二号による犯罪後刑の廃止があつたとして被告人を免訴すべきものと認めることはできない。

(量刑の理由)

被告人の本件各犯行のうち、酒酔い運転については、交通事故を誘発する大きな原因の一つでいわゆる交通三悪の一つとしてあげられ、交通戦争といわれるまでの交通事故の多発に悩み、国民をあげてその撲滅に日夜努力している現状を考えれば、自動車運転手としては如何なる理由があろうとも、厳に慎しむべきものであるにもかかわらず、ウイスキーの水割コップ五杯という多量の飲酒の後、敢えてなされたもので、全く同情の余地がないものである。更に業務上過失傷害の犯行についても、被害者には何らの過失がないものである。交通規則を遵守して運転していた運転手ならびにその同乗者たる被害者に対して与えた肉体的苦痛および将来に対する不安感は多大なものであるといわなければならない。加えて本件犯行直後、被告人は被害者や、かけつけた警察官に対し、暴言をはいたことをあわせて考えると、被告人の罪責はまことに重いといわなければならない。

しかしながら、無免許運転の犯行については被告人は昭和四七年三月二一日に琉球政府公安委員会の運転免許を受けており、右運転免許証は右犯行の約一〇日後の昭和四七年五月一五日からは無条件に本土内においても有効となるものであつたことを考えれば同情すべきものがある。

更に被告人は本件犯行後、被害者の車や自己の運転していた東京通運株式会社所有の車の修理代を支払つており、被害者に対する治療費、慰藉料等の支払に関する示談も右会社の尽力によつて成立することが確実であり、被害者の感情も慰藉され、被告人を宥恕しいること、また、被告人は若年で前科前歴もないことなど一切の事情を考慮し、被告人を禁錮一〇月、執行猶予四年に処するのを相当と判断した。

よつて主文のとおり判決する。

(富永元順)

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